◆亥子屋◆店主のひとりごと Back number  2001年3月 前へ 次へ

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3月31日(土)

午前中はお店に寄り、午後は千駄ヶ谷へ5社ほど訪問。
フローリングも貼り終わり、なんと、もう、木工事は終わりみたい。
ちゃんと壁面ガチャスリットも綺麗に入っているし、フィッティングルームも完成。
店内サインボードを立てる仕切りも出来ていた。
これで売り場と後方の区別がはっきりできるぞ、、、
なんとまあ早いことか。。。。大工さんと仲良くなるヒマもなかった。。。

 

3月29日(木) 雨

またまた横山町〜馬喰町周辺へ。7社ほど見て回りました。
良い服を探すのが私達の仕事。うーむ。なかなか見つからない。
でも、2社くらいは、あったか??

 

3月28日(水)

朝から店で、大浦さんと、サンデザインの角さんと打ち合わせ。
サッシの枠も入り、大工さんがすでにフローリングの下地を作っていた。
狭いところなのに、大工さん3人で。。。。早いわけですね。しかし、店舗を手がける大工さんってすごいスピード。
駅前ロータリー側の看板や、その上のアンドン風照明の雨じまいについて、主に打ち合わせをしました。

 

3月23日(金)

フクスケさんの秋冬展示会に。
まだ出来あがっていないお店の秋冬商品の注文、ということで、なかなか決まらず。時間ばかり食ってしまいました。
その後は、横山町の問屋街で、取引先探し。
やはり、買いやすい値段のものは、メーカーが大量に生産して価格を下げているため、あちこちで手に入ってしまうんですね。ということは、自分と同じ服を着ている人があちこちで出会う可能性があるっていうこと。
使い捨ての服ではなく、永くきていただけるデザイン、上質な服がいちばん置きたいし、お客様に提案していきたい。
なかなかたくさんは見付からないですね。そんな服。

 

3月22日(木)

今日から解体。解体工事を含め、20日ほどあれば全部終わってしまうらしい。
施工業者は、サン・デザイン。
大浦さんの設計するお店を良く施工するらしく、左官工事やタイル工事など勝手が分かって良いらしい。社長の角さんも、緻密そうな方です。

 

3月15日(木)

明日から解体、、、のつもりだったけど、業者の都合が付かないらしく、22日からに。
オープンの日にちは変わらず、4月16日。
お店の片付けが終わっていないので、ちょうどよかった。。。ホッ

 

3月14日(水)

今日は銀座で商談。AMO(アモー)というブランドの服。
大正〜昭和初期の着物を一度丁寧に水洗いして、ほどき、デザインをしなおした服。
とてもシンプルだけれども、どこか存在感があります。
大島紬、結城紬、銘山、縞 etc...
日本の生活様式にしっくりと馴染んでいた着物の色や柄を、今の素材とミックスさせて生まれたAMOスタイル。和の心、粋でいなせな世界が、伝わってきます。
ちなみに、素材や柄もデザイナーが吟味して作成するため、着物の持ちこみリフォームはやっておりません。
また、今のところ、百貨店でも手にはいりませんよ、、、是非是非 新開店した亥子屋で。。。

 

3月13日(火)

ショップバッグの業者と打ち合わせで渋谷へ。
綺麗にロゴの印刷が出ていました。
その後、新しいメーカー開拓に、五反田へ。歩き疲れた。。。。

 

3月12日(月) 

大浦さんの事務所で打ち合わせ。お店が休みなので、事務所での打ち合わせを希望してしまいました。場所は横浜市の青葉区。
ちょっとドライブ気分で行ったのですが、その日は見積もりが出る日。
床は唐松の無垢フローリングとか、外壁は土壁藁入り、イベント用ワゴンも特注にしていたら、なんと予算大幅オーバー! 一気に悲しい気分になってしまいました。
削って削って削って、、、40万円ダウン。イベントワゴン特注は真っ先に削られた。
什器類っていうのは、高いものですね。
しかし、外壁、店内サインボードの土壁は残っています。あと、什器にロゴを焼きゴテで焼印をするのも。どうぞお楽しみに。(実は焼印、大浦さんがやりたいらしい。)

 

3月10日(土) 晴れ 気温9度

今日で旧「稲屋」は最終日。たくさんのお客様に売り尽くし期間中はご来店いただきました。
本当にありがとうございました。
しかし、ぜ〜んぶ商品がなくなるってことは、物販店ではないんですねぇ。
お店閉めてから棚卸。見た目は少なそうだけど、一点一点チェックしていくとけっこうな量になります。う〜 終わらないけど、続きはまた明日ってことにします。

 

3月6日(火) 晴れ 気温13度

昨日とはうってかわって、たくさんのお客様にご来店いただきました。
ありがとうございます!! 子の調子でぜ〜んぶ売れると良いです。。。
お店のフロアマットのデザインを、サニークリーンと相談。
ロゴをそのまま入れると、小さくなってしまって作成できないらしい。
困った困った困った。。。。。。

 

3月5日(月) 晴れ 気温11度

今日から50%OFF!!
ホント、投売りです。福助足袋も、ストッキングもぜ〜んぶ半額です。例外品はありません。今がチャンスですよ!
しかし、それほど売れませんでした。飽きられてしまったのだろうか・・・
このまま売れないと、膨大な数の在庫を工事中、保管しておかないといけない。大変だ。。。

 

3月4日(日) 雨

定休日。しかし、業者とロゴ入りショップバッグなどの打ち合わせ。
イメージとしては、質感などは、シビラのショップバッグみたいなのにしたかったのですが、少ないロット数だと、えらい高くなってしまうので、諦めることに。
カットソーや、ニットを持って持ちやすい形状、大きさにはこだわり、一番良く使うバッグは特注サイズに。

 

3月2日(金) 晴れ 気温11度

大浦さんが来店。ヒストリー(店の物語)も出来あがった。
一応、ウチの店の生い立ちなどの情報だけはお渡ししていたが、とても上手い具合に絵になる物語を作っていただいたきました。すばらしい出来ばえです。
迷っていた店名は、今の時代だと、「亥子屋」の方が絵になるだろう、という結論のもと、「亥子屋 INEYA」にしました。

創業大正13年。
初代中野昌幸により、葉山に「亥子屋」は誕生しました。
昭和の始めになって昌幸は’稲のようにお客様に大切にされるように’と願い、屋号を「稲屋」に改めてこの地、逗子に根を下ろします。
そしてお客様に愛されて、七十五年余。
「稲屋」は世紀の変わり目を経て再び「亥子屋」へ。
亥子とは十二支のしんがりの亥から、先頭の子への橋渡しの意。
終わりから始まりへ.....
「亥子屋」の歴史は十二支のように、輪となって永遠に受け継がれてゆきます。

ちなみに、中野昌幸は、私の祖父です。
創業時は、現在の葉山町堀の内の、小島屋金物店の場所だったらしいです。
そして、昭和の始めに、現逗子銀座商店街の真中辺りに引っ越し、
それから今の場所に…
その頃には既に、ウチの前では、三盛楼さん、吉田屋さん、仙満亭さんが営業していたそうな。。。